2016年8月21日日曜日

渋谷川の流路

渋谷川の流路の新宿御苑からの出口を見つけた。


大谷石の部分は後から埋めた部分だろう。


明らかに周りと素材が異なるし、斜めに切れている。
新宿御苑の中の池を渡った水はここから渋谷川に流れ出ていたのだろう。
その先で、大木戸からの余水を合流するが、余水を流していた流れにかかる橋はいまもしっかりその痕跡を残している。以前は暗渠になっており、子供用の遊具が置いてあったがここも今は立ち入り禁止になっている。


結局、渋谷区と新宿区の境が渋谷川の流路になっていた。逆、渋谷川の流路が渋谷区と新宿区の境になっていた、が正しい。
まとめるここんな感じかな?

2014年8月23日土曜日

郡上八幡(宗祇水、他)

昨日まで、郡上八幡に行ってきました。「清流と名水の城下町、郡上おどりのふるさと」といわれていますが、それにふさわしい綺麗でこじんまりとした町でした。ここに行きたかった理由としては、「宗祇水(そうぎすい)」とよばれる日本名水百選の第1号に指定された湧水があって、それを見てみたかったからです。
ここは由緒正しき史跡で、文明3年(1471)連歌の宗匠・飯尾宗祇が郡上の領主である東常縁から古今伝授を受けて京へ戻るとき、当時の2大歌人であるふたりが、この泉のほとりで歌を詠み交わしました。
「もみじ葉の 流るるたつた白雲の 花のみよし野思ひ忘るな 常縁」
「三年ごし 心をつくす思ひ川 春立つ沢に湧き出づるかな 宗祇」
惜しむ別れを清泉に託した2首の和歌が残されています。
また、渾渾と湧き出る湧水の上には祠のような建物がありその下からたえず綺麗な水が湧き出ています。湧き出た水は、この地にある水舟同様、水源に近い方から、飲料水、米等洗場、野菜等洗場、さらし場に分かれており、大切に利用されています。飲んでみると表現は難しいですが、ほんとうに何かの宣伝のように「何もないたさない、何もひかない」すごく純粋な味でした。滞在中、ここには昼、夕方、夜、朝と寄ってみましたが、いずれも表情が違いすばらしい湧水でありました。







郡上八幡へのアクセスは電車だとあまり良くはないです(今はほとんどが車でアクセスするのだろう)。名古屋から特急を利用して岐阜経由で美濃太田まで約40分かかります。(今回の帰りは、高山線(単線)が落雷で踏切が故障したため、徐行になり2時間10分もかかりました。)次に、長良川鉄道(今は第3セクター)で郡上八幡まで約1時間20分かかります。この鉄道は1車両ワンマンの各駅停車のみ長良川を渡りながら上流の北濃までののどかな列車です(1両でも列車というのかな?)。この列車の運転手さんは大変で単に運転するだけでなく、整理券から運賃を払ってもらったり、途中、みなみ子宝温泉での入浴手続きの案内や、一日一本走る「ゆら~り眺めて清流列車」では、長良川の名所で徐行運転をしなければなりません。何でも一人でやらなきゃならないのでバスの運転手さんより大変そうです。郡上八幡の駅に着いて感じたのは、ここは昭和初期?というぐらいなんとも古くのどかな駅です。当然改札もなければ、ホームを渡る跨線橋は木製です。駅舎内には、国鉄の越美南線時代に実際に使用した鉄道用品などが展示されています。乗降客もまばらですが、このような鉄道は長く続いて欲しいと思います。





郡上八幡は、長良川に合流する吉田川とさらに吉田川に流れ込む小駄良川に挟まれた小さな町ですが、歴史は古く、戦国時代に遡るようです。
郡上八幡で有名なのは郡上おどりともう一つが、町の中央にある新橋から子供達が吉田川に飛び込むことではないでしょうか?実際覗いてみると14,5メートルあり飛び込むには相当な勇気がいります。この橋の中央には「不慣れな人は絶対に飛び込まないように!」と書かれていますが、普通の人はまず飛び込めません。







町の中はいたるところに水が流れています。水と水が上下で交差する面白い水路もあります。いずれの水路も綺麗に整備され、乙姫川の流れとそれに直交する「いがわこみち」の流れは、この町を代表する流れで途中には洗い場があったり、木の板で水路を変えたりできるようになっていて、この町の生活と密着しています。






郡上八幡は城下町です。翌日に郡上八幡城へ登ってみました。徒歩で30分程度ですが、暑いので結構きついです。お城の天守閣の頂上から町を見下ろすと、魚のような形に見えるとありましがた、まさにそう見えます。天守閣の中央に「日本一」の木が置いてあります。この木は、江戸、小石川にあった邸中にあった木が倒れ、そんの木の中に「日本一」の文字が現れた、それは吉兆の知らせだと言うことで、この地にもってきて積翠神社のご神体として祀ってあるそうです。(東京サイドでも一度調べてみる必要はありそうです。小石川のどこにあったのかな?)




そもそも郡上八幡の水はどのようにここに来るのでしょうか?郡上八幡地域は年間2,800mmの降雨量がある豊かな水源林に涵養され、縄文鍾乳洞に代表されるカルスト地形の石灰岩に浸透し、八幡市街に数多く湧出しているらしいです。そこで、町に流れ込む乙姫川の源流の方まで歩いて行ってみました。宿の方に聞くと、昔遠足で行ったそうです。歩いて10分と言われたので、そんなに近いのかとびっくりしましたが、まずは行ってみました。乙姫川は町中の整備された水路を滔々と流れています。川に沿って登っていくと、「県下初の水力発電所跡」と書かれた標識かありました。岐阜県で初めてここで発電をしていたのですね。ちょうどこの辺りにトリックライクな標識がり、そこにこの先の案内があるので乙姫滝と乙姫水神まで行ってみることにしました。




15分程度登ると急に涼しい風が、砂防ダムを越えると幾重に重なる綺麗な滝が現れました。これが乙姫滝です。マイナスイオンたっぷりの空気とぶるっとする程の冷たい空気がとても爽やかです。さらに登ると滝の上部に小さな祠があります。これが乙姫水神さまです。水神様へ渡る橋の手前に今は懐かしいオリエンテーリングのJのマーカーが立っていました。町から15分程度でこんなきれいな水に溢れた大自然の中に入ってこれるなんて、やはり日本は水に恵まれた国土だと実感します。






今年は連日の豪雨でこの辺りも道に土砂が流れこんでいました。この日の探索はこのあたりにして町へ戻りました。途中砂防ダムの上部に溜まった清流のほとりに2匹の御歯黒蜻蛉が戯れていました。胴体はエメラルドグリーンのとても綺麗な蜻蛉達でした。


2014年8月16日土曜日

古道探訪

初めて古道探索をしてみた。自分にとっての面白みは、河川、階段、坂、暗渠の次ぐらいかな。河川は基本自然そのもの、水の流は見ていても気持ちが良い。階段は河川が作った斜面を人が通り易くするための工夫、階段の作りには人の思いがしっかり入っている。坂は目的地への道として必然的に存在しているし、暗渠は川があるのに誰かが意図して蓋をしたところピーリングしたくなる。古道は昔から人々が行き来した道だけど、しっかりピーリングしてあげないと本質が見えてこない(つまり、そのままだと単なる道にしか見えない)。東京という所は自然の営みと人の営みが繰り返されて、薄い皮を何枚も重ねた結果、今の姿になっている。一枚一枚めくっていくと原風景が少しずつ見えてくるのだ。暗渠、鉄道は比較的最近(100年程度)の産物、人が作ったものだ。暗渠はその昔(東京オリンピック以前)は川だった。今電車が走っているところは昔(明治初期)は人の少ないところだった(昔鉄道は嫌われものだったので人里離れた所を走っていた、中央線は定規で引いたように真直ぐ、実際定規で引いたらしいけど、今はどの駅前も賑わっている)。

今日は、今でこそ中央線の駅として賑わう阿佐ヶ谷を南北に貫く中杉通りに沿うように存在する古道、鎌倉街道を鷺ノ宮から大宮八幡宮のある和田堀まで自転車で走ってみた。古道沿いには神社、お寺、お地蔵さんや道祖神がたくさんある。特に道祖神は昔の村の境にあるらしい。今日通った古道では、北から妙正寺川、桃園川(暗渠)、善福寺川と3つの川を横切る、都心のような急な崖はないのでいずれも比較的なだらかな坂となっている。
スタートの鷺ノ宮駅前、妙正寺川にかかる八幡橋
妙正寺川改修の碑

改修記念碑横のお地蔵さん、道案内、など

鷺宮八幡神社の説明

鷺宮八幡神社

辻の祠
阿佐ヶ谷の駅付近にはケヤキ屋敷がある。ぐるっと一回りしてみた。大きなケヤキが沢山ある、ここは昔からの大地主の相沢家の邸宅だそうだ。今もこのように残っているのが大変貴重だ。駅の南側はパールセンター、すずらん商店街とアーケードが続く、パールセンターの途中にもお地蔵さんと庚申塚があり、ここが古道であることを物語っている。
ケヤキ屋敷のご神木

ケヤキ屋敷(相沢家)

パールセンター内のお地蔵さんと庚申塚
この古道が青梅街道と交差したところが田端交番のある信号だ、この先の道を間違えた。本当はこの路地を入ってすぐに左に曲がらなくてはいけないのに、広い道のまま真直ぐ進んでしまった。目標の「関口の地蔵」が見つからない。(間違っている時って、この道が正しいと信じていてなかなか戻れないものだ)あきらめて善福寺川方面に緩い坂を降りると、今度は暗渠ぽい道が出て来てそれをトレースしてしまった。トレースしていると小さな公園が、そこで一休み(トイレ休憩)。公園から出て進むと公園の裏の建物は杉並税務署でその先にひろがる広大な空き地、阿佐ヶ谷住宅跡地だ。かなり西の方まで来てしまっていたのだ。来た道を戻ってしばらく行くと五日市街道にぶつかった、それも善福寺川の脇。ただ、この間違えた結果よいこともある。思いがけず「白幡の坂」に来ていたのだ。ここには民間信仰石塔とかかれた看板がありその高台に庚申塔が祀られている。道を間違えたことでこの石塔に会うことができたのだ。
青梅街道、田端交番

杉並税務署裏の公園

阿佐ヶ谷住宅跡地

白幡の坂下の庚申塔解説

庚申塔

庚申塔と白幡の坂
そこから五日市街道を通って青梅街道へ。もう一度田端交番を入ってすぐに左に曲がった。梅里中央公園があった、きょろきょろしていると公園の角の住宅の角にお地蔵さんがあった。関口の地蔵、これが古道だ。
梅里中央公園

関口のお地蔵さん
さらに進むと五日市街道にぶつかる、鰻屋がある。さっき通った時にここかな?と思ったところだが、急がば回れで田端交番まで戻ったのは正解だった。その先を道沿いに進む、幸栄電気のところから暗渠道が始まるが幸栄電気はわからず(後でわかるのだが)、雰囲気ですぐに暗渠だとわかりトレース開始、和田堀公園へ素直に流れ込んでいた。おそらくだが、梅里中央公園あたりが水源だと思われる。和田堀公園には武蔵野園という釣り堀がある、食堂もあってソース焼きそばの好いにおいがしたが今日は我慢。

五日市街道と古道の交差点

暗渠道入り口

暗渠道特有の巨大マンホール

綺麗な暗渠道

測量マンホール


つり堀武蔵野園

善福寺川
大宮(和田堀公園)からの帰りは、また古道を逆に進み、松ノ木遺跡の横を通り、小さな稲荷、庚申塔を通ってさっきは気づかなかった幸栄電気前へ、そこからは古道を離れ堀之内の妙法寺をへ向かった。
松の木遺跡の解説

自分撮り?

小さな祠

庚申塔

幸栄電気(こんなの気づかない?)
噂には聞いていたが、妙法寺は大きなお寺で鍋屋横丁から妙法寺参道(これも古道)が続いている。妙法寺からその北にある真盛寺の前に行ってわかった。中野富士見町で神田川に合流する小沢川(暗渠)の水源はこのお寺の中の池からだ。ちょうど環七を挟んで参道の先には小沢川の暗渠道が続いている。小沢川はここからの水と蚕糸の森公園からの水とさらに蛇窪からの流れを合わせて神田川に流れていたのだろう(これもピーリング)。高円寺は寺前通りを鷹っ鶴方面へ進みルック商店街を北に、この交差点にフヂヤ薬局の三角屋根の古い洋風の建物がある。ここから桃園川(暗渠)への商店街は続く、桃園川から駅への上りは今風のパル商店街、高円寺の駅を越えると純情通り商店街へと続く。賑やかな今の高円寺も中央線が通るまではなかったのだ、この辺りは将軍の狩り場だったそうだ。

妙法寺

真盛寺
環七を挟んで小沢川暗渠

真盛寺解説

本来はお寺の中にある池からの流水の復刻

ルック商店街のツヂヤ薬局

桃園川暗渠

パル商店街

純情通り商店街
今日は良い天気でとても暑かった。早稲田通りを真直ぐ高田馬場まで、途中「純連」で醤油ラーメン、これまた熱い!が塩分補給になった。風が強く自転車では一苦労。500mlペットボトル3本消費。

この日の行程路、約40Km

古道は尾根筋道

純連の醤油ラーメン(熱い!!!)